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「ルドルフ」中毒から抜け出せないまま、でも、小休止。よいものは、やはり、よい。 本日わざわざ下高井戸までお出まし。(「ルドルフ」で有楽町が一気に近くなった私には以前より東京は近い、乗り換えもOKなり) その途中まで、ずっと原作「贖罪」(イアン・マキューアン)を読み続ける。 上巻は重い…なかなか読み進まない。最後がロビーの母親の「うそつき!うそつき!」の場面で終わる。 2回目の映画だと、このグレイスの「うそつき!」はブライオニーに向けられた言葉だと少女ブライオニーの横顔を見ていて思う。 下巻は、うってかわった書き方で、段落のはじめの漢字が太く大きくなっている1文字だけ。 第2部は、ほぼロビーのダンケルク撤退の模様。映画よりくわしく重い。最後に叫んでネトル伍長に励まされて眠るところまで、映画と同じ。しかし、映画は時間がないから象徴的に少年少女の死体の山を映し、すぐに浜辺に到達、すべてが凝縮されている。 隊とはぐれた時に受けた砲弾のかけらが体に刺さっていたのがどんどん悪くなり、敗血症でイギリス撤退の日に亡くなってしまう。2回目だと最初の方でおなか(胸)の傷をみるシーンがあるのだが、原作を読まないとそれがもととは思えない。 上巻まではほぼ原作通り、と思っていたら、下巻も書き方の手法は違っても映画通り!! 原作のすごさだとあらためて感心。 3部は映画通り、ブライオニーの看護婦生活。これも原作のように長くかけないから圧縮してある。 看護婦に名前はいらない、というくだり、名前をつげて怒られるのはブライオニーじゃなくフィオ−ナ。でも、ブライオニーにした方が、あとのフランス兵の臨終につきあうシーンで生きてくる。でも、ここも原作読んでいないとわからない。 本当の犯人?ポール・マーシャルと被害者ローラの結婚式に行き、セシーリアの家に行くあたりも原作通り。 ロビーが、ブライオニーをなじる。一回目では、「ロビーはそんなことしない」と私が感じたとおり、姉がこわくていけなかったのが真実。 このあたりからどれが真実か… そして、映画では新作のインタビューに答える形で、77歳の誕生日に「贖罪」が発売されるという、あるいみ告白。「2人の死」を告白し、「一緒にいられなかった2人を小説のなかで、一緒にさせたjかった」流れる海辺のコテージ、よりそう美しい2人。の映像で終わる映画。本当に、セシーリア(キーラ・ナイトレイ)もロビー(ジェイムズ・マカヴォイ)も美しいのだ。映画はこれはこれでショックな結末で効果絶大。 原作は3部の後に、「1999年ロンドン」という章があり。 ブライオニーは77歳の誕生祝いをもとの実家、(事件のあったサリーの邸宅)で家族と祝う前に、帝国戦争博物館へ、セシーリアのロビーに宛てた手紙(ネトルが持ち帰って手に入ったらしい)を寄贈に行く。そこで、マーシャル夫妻に会う。いまや慈善家とかし、ロードの称号までもらった、事件の当事者である。 誕生会では、ローラの双子の弟の1人ピエロがむかえてくれ、子供達が「アラベラの試練」を劇で上演する。 「アラベラの試練」こそ、事件の日にブライオニーがかき上げ、ピエロやローラ達と上演を試みて頓挫した(つまり才能の挫折?)作品。ここにもどるか!原作。 そして最後にブライオニーは眠れないまま考える。 「ゆるしてもらはしない」「もし、私にロビーとセシーリアをこの場に現させる力があれば」「2人はまだ生きていて、まだ愛しあっていて、顔を見合わせながらほほえんで、アラベラの試練をみてる」 「それは不可能ではあるまい」 ここでおわり、処女作でもあり、遺作でもある「贖罪」は関係者のだれが生きていても出版できない。ローラは名誉毀損で訴えるだろうし、だから皆が死んだ後に出版される。 はじめに看護婦見習い時代に書いて(噴水のそばの人影ふたつ)結局5回も書き直しをし、5回目にいれたセシーリアの部屋の場面、まったくのフィクション。 許されることではないと知りながら、書いた。 マーシャル夫妻は慈善活動で「贖罪」していたのだろうか。 原作も素晴らしいが、あの内容を2時間にまとめた映画も素晴らしい。表情とかしぐさとか、映像でなければ現せないところも多かったし。 なにより、だれより。 セシーリアとロビーを幸せにしてあげたかったなあ、そう最後思ったら涙がでた。 おまけ: アカデミー取るべきだったよ、そうしたらもっとたくさんの人がこの作品を見ることができた、おしい。 |
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