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佐藤多佳子話題の作品、3巻目。すべてはこのためにある(荻原規子いわく)。 その通りかな。 軽かった新二の語り口が、より確実により重く、そして真剣にそれから最後は神聖になっていく気がする。 ただ、「練習した」「タイムが縮んだ」「レースに勝った」「インターハイにいけた」だけじゃない、スポーツそのものの醍醐味がいっぱい、いっぱい詰まってます。 そもそも、「陸上」は天才のスポーツ(もしくは天才を目指す人の)と思っているから、自分は絶対やらないし、みもしない。その点、「水泳」は努力のスポーツの領域が大きいから好きだし、教えがいもあるし、みちゃう。特に好きなのは優秀な選手の水中映像、ため息がでちゃう。 結論として、最後まで脈々とこのお話の根底にあるのは。 「走りたい」 ということ。走ること自体が、実にシンプルで、「神聖」で「尊い」、と言うことなのです。 新二は子供のころから好き嫌いなくゴハンをいっぱい食べて、運動神経もよくって(サッカーのセンスは足りなかったけど)肉体的に鍛えることに耐えられる能力を持っている。 怪我もなく、どこまでいけるかわからない未知数と危険とが隣り合わせ。 運動しながら、「いま自分はどんなことしてるか」とか「いま自分がどんな状態か」ってわかるのは、きっと超一流のアスリートだけだと思う。 神聖な、走ることへの高みに登ろうとする、それに気づく若者達のすごく、すごく納得できる物語。人気があるのがよくわかる。おすすめします。 吐く程運動やった人も、吐く程運動やらせた人も、何もしたことない人も、きっと全ての人が「理解できる」そう思った。 1〜3巻とおして、キーポイントになるいいせりふがあるんだな。 特に「ケモノ」の世界に生きてる、体力のない天才、一ノ瀬連の言葉。 「おまえ、ボールなんかなけりゃもっと速いのに」 「おれ、おまえとかけっこしたくて陸上やってる」 「(200の練習しなかったら)新二に負ける」 「勝つ、仙波にもおまえにも」 ひょうひょうとした連のことばで、新二も気づくとこがたくさんある。 結果は、順位でもタイムでもインターハイでもない、それがこの話の終わり方。 |
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